霊感

 私には霊感が無く、霊の類に遭遇したこともない。霊感のあることを自称する人達が平然とした顔で自身の心霊体験を話しているのを聞くと、「よくそんな平静に暮らしていられるな」と思う。私は霊を信じているわけでもなく、かといって100%いないと思っているわけでもないのだが、もし仮に霊を目撃してしまったら、その霊自体の怖さもさることながら、むしろ自身の死後のことを考えて恐怖に震えてしまうだろう。恐怖とはすなわち、「死後、無になれないことへの絶望」である。霊が実在するということは、まぎれもなく、「自分も死んだあと霊になるかもしれない」ということだ。現世で生きているときの苦しみは、終わりがあるから耐えられる。仕事の繁忙期で睡眠不足が続こうが、手術後の尿道カテーテルが不快で堪らなかろうが、電車で隣の席に座ったおじさんの体からグリーンカレーみたいなにおいがしようが、あと何日、あと何時間、あと何分の辛抱と考えてそれに耐えることができる。あるいは、全部ひっくるめて人生が煩わしくなっても、「死んで土に還ればすべてが終わる」と考えれば気持ちが楽になるものだろう。しかし、死後も霊として苦しみながら存在し続けなければならないとしたら、どういう心持ちでその苦しみに耐えればいいのだろうか。霊として生きる(?)ことが何の苦悩もない、本当に鬼太郎のオープニングのようなワンダフルライフならいいのかもしれないが、様々に伝えられる霊の怨念話などを聞くにつけても、きっとそんな甘い世界ではないのだろう。死んでからも永久に報われることのない懊悩が続くなんて、そんなことはとても信じたくないので、もし万が一死後の世界があるとしても、せめて生きている間はそのことから目を背けていたい。だから私は、このまま一生、霊の類と遭遇する経験などしないまま、死後は無になることを見据えて人生を送りたいと切に願っている。

 ところで私は、霊と直接遭遇したことこそないものの、一種の心霊体験のようなものは一度だけ経験したことがあるので、それを今から紹介したい。ある日の夜中、私は自宅のベッドに寝転がりながら、Youtubeで「世にも奇妙な物語」の『急患』という作品を見た。新種の病気に感染した患者がドロドロした緑色の液体に変化してしまうという怖い話で、主演は 近藤 真彦 だった。夜中の病院を舞台にした陰鬱な映像とグロテスクな描写の連続で、見終わった後も強烈な後味の悪さが残った。試聴中の緊張感のせいか、喉が渇いていることに気付いた私は、近くの自動販売機へ飲み物を買いに行くことにした。深夜1時を回っていたため外はひとけがなく静かで、自販機の明かりだけが不気味に白く光っていた。自販機に小銭を入れ、烏龍茶のボタンを押す。ガタンッ、と大げさな音が鳴り、取り出し口に飲み物が落ちてきた。そこで私はおかしなことに気付く。烏龍茶を選んだはずなのに、出てきたその飲み物の中身は、およそお茶とは思えない不気味な黄色い液体だったのだ。その瞬間、先ほど見たばかりの、近藤 真彦が緑色の液体に変わってしまう映像が、頭の中にフラッシュバックした。恐怖に駆られながらも、私はおそるおそるその飲み物を取り出して、凝視した。MATCH(マッチ)だった。