ボルダリング

 “趣味になりかけたもの” がたくさんある。何かのきっかけで興味を持ってやり始めるものの、飽き性や怠惰、または別の「やめるきっかけ」のせいで、結局趣味として定着しなかったものが多い。その一つがボルダリングだ。

 3年前の春、新卒で民間企業へ入った私は、4人部屋の寮に暮らしていた。入社して最初の月~金曜日を何とかこなし、初めて迎えた土曜日、私は相部屋の同期の一人であるHと共に電車に乗っていた。Hは笑った顔が高橋克典に似ているナイスガイだった。入寮初日に私があたふたしながら寝具等を運搬しているのをごく自然に手伝ってくれたHを見て、私はもう社会人であり言い逃れようもなく大人なのだから早くこういう余裕を持たなければいけないと焦りに似た気持ちを覚えたものだった。Hの実家は会社(および寮)から電車で2駅の位置にあり、本来入寮する立地ではないのだが、「入社後2週間の研修期間中は全員が寮で共同生活をする」という化石めいた会社の伝統のため、一時的に寮生活をしていた。この日、私達はHが大学生の頃たまに通っていたボルダリングの練習場へ向かっていた。ボルダリングとは簡単に言うと室内版のロッククライミングである。Hは大学時代にボルダリングの魅力を知り、実家の近所にたまたま存在していた無人の練習場へよく行っていたらしい。その話を聞いて興味を持った私はHに連れていってもらうことにした。春のにおいが降りてきそうな快晴の土曜日。一週間ぶりに訪れた「自由に過ごせる一日」に私もHも胸を躍らせていた。社会人として初めての一週間は、今にして思えば過剰なほどに「囚われの身」になったような気持ちで過ごしていたため、大学生だったつい数日前までと同じように束縛から解放された一日を過ごせる事実が、私を大いに安堵させた。目的の駅についてしばらく歩くと、第7サティアンを四分の一スケールにした感じの無機質な倉庫が目の前に現れた。中に入ると、壁一面にカラフルな石が無数に配置され、床にはマットが敷き詰められていた。『テレビやインターネット等で見たことのある光景!』、私はそう思いながら胸を高鳴らせた。しかし、話には聞いていたが、インストラクターはおろか受付の人さえいない、本当に解放された無人の練習場だった。専用のシューズが置いてあるスペースでジャージに着替え、集金箱に500円(一応、一回の利用料500円と決まっているらしい)を入れて、私達はマットの上に踏み込んだ。よく見回すと、壁の隅に整形外科の電話番号が記載されていた。そして壁面のところどころに、どう見ても血痕じゃないかと思われる赤い痕跡も付着している。それらを見ると不安に襲われたが、この石だらけの壁を目の前にして登るのを断念するのは、便器を目の前にして小便を我慢するのと同じくらい耐えられないことだった。Hがさっそく、口頭で要領を説明しながら見本を見せてくれた。私も言われるがままにやってみた。ボルダリングは、石伝いに壁を登っていくという単純な作業のように思えて、実際は体重移動などコツをつかまなければいけないポイントが多く、また登っていく手順も、どの石をどのような順番で選びながら進むかによって行きつけるゴールが変わったり、途中で手詰まりになってしまったりもする、非常に戦略的で奥深いスポーツだった。私は試行錯誤を繰り返した。脳の中の運動をつかさどる神経に、新しい回路が突貫工事で築かれていくのを感じた。予想以上に筋肉へのダメージが大きく、すぐに覚醒剤使用末期のマッキー(槇原敬之)みたいに腕がプルプルになり、結局その日は一番初心者向けのゴールをクリアできたにとどまった。それでも私の心は晴れやかだった。「来週もここへ来たい」とHに言った。充実感が必要だった。社会人としての生活に希望が無かったわけではない。この生活の中で何を目指して、どんなことに希望を持って生きていくか、会社へ入る前から幾度となく整理をしていた。いつか手放しの自由が失われることはずっと昔から分かっていたし、覚悟を決める時間だって十分にあった。しかしそれでも、いざそこに突入してしまったときの不安、戸惑い、そして虚無感はあまりに大きくて分厚くて、ハッタリだけの覚悟なんて遠き日のブブゼラの音色みたいに消えてしまった。溺れるような毎日の中で、小さな希望を大切に積み重ねていきたかった。

 翌週金曜日の夜、今度は私とHの他に、UとWという別の同期も加えて4人で練習場へ向かった。UもWもボルダリングはこの日が初めてだった。Uは関東の出自で、東京に恋人を置いてこちら関西まで出向いてきているらしい。Wはスマイリーキクチに似ている。社会人になってたった2週間であったが、すでに華金の喜びは我々の感覚の中にまるで生まれながらにしてあったもののように定着していた。練習場に着き、忌々しいスーツを脱いでジャージに着替え、私達は石壁と格闘し始めた。Wは枝の生えたマッチ棒のように細い体付きであったが、その見た目とは裏腹になかなかテンポよく石を登っていた。体重の軽さゆえに負荷が少ないのだろうとHはコメントを付した。逆にUは筋肉質な見た目であったがかなり苦戦していた。このあたり一筋縄でいかない所もボルダリングのおもしろさなのかもしれない。私はと言うと、先週到達できなかった石に到達できるようになった。嬉しかった。この暮らしの中に、僅かずつでも確かに、積み上がっていくものができた気がした。Hは序盤、初体験組に少し指導をした後は、ビギナー達と少し離れた中級コースで黙々とトライ&エラーを繰り返していた。時おり背中越しに見えるHのファインプレーに、私は心の中で拍手を送った。全員の腕に乳酸が溜まりきってもう嫌になってきた頃合、練習場を後にし、皆でラーメンを食べに行った。掘りごたつの席で、みんな脚を組んでふんぞりかえりながら談笑した。4人いるメンバーのうち私を含めた3人が若年性高血圧だという事実も判明し、ささやかな宴は盛り上がった。終わり頃、ジョッキのビールを飲みほしたUが、「こんなことなら大学院へ進めば良かった。早まって就職なんかするんじゃなかった」と、マンドリルみたいに真っ赤な顔で泣きごとを言い始めた。Uは理系であるが、大学院には進まず学部卒で就職したのだ。他の3人は冗談めかしてUをなだめたが、誰もが内心は身につまされる思いだった。『飛べない鳥は取り残されて 胸や背中は大人だけれど』『限りない喜びは遥か遠く 前に進むだけで精一杯』、筋肉質な体を極限まで猫背にして弱音を吐くUを見て、自然とイエモンの歌詞が私の頭に降りてきた。自分の人生が自分のものであることは素晴らしいことで、そして気が狂いそうなほど心細い。いつか何でもないことのように思って、シャンとした気持ちで朝を迎えられるのだろうか。このときの私達にできたのは、ただ藁一筋の希望にすがりながら、泳げるようになるまで溺れ続けることだけだった。

 さらに翌週の金曜夜、私達4人はまた練習場へ来ていた。Wは風邪で微熱があるにも関わらず参加していた(私には彼の気持ちが分かる気がした)。各々、先週よりも高みをめざして石を掴み、踏みしめる。まるでこの所業が、自分の人生の背骨であるかのように。そんな中、私は狼狽していた。先週は到達できた石に、なぜか今日は到達できなかったのだ。一度は自分のものにできたゴールが、今日はすごく遠くに感じる。これは一大事だった。ここへ来るのは今日で3回目。「1→2→3」という風に、着実に向上するのが理想だった。「1→2→2」の現状維持ならば、まだ許せる。しかし、「1→2→1」、これはまずい。最初に逆戻りだ。物事を習得する際にスランプが付きものなのは分かっている。しかし、そういうことは、せめてもっと後の段階で起こってほしかった。このときの私の生活には、着実に積み上がっていくものが必要で、それが無いと、自分の中のすべてが崩れ落ちてしまいそうだったのだ。ふと周りを見ると、微熱を抱えているはずのWが、先週の私の到達点を超えてさらに高みへ進んでいた。Uも着実に記録を伸ばしている。取り残されるのは私なのか? 焦燥感に駆られ、何度も石にすがりついたが、両腕はもう十円玉がたくさん埋め込まれているかのように言うことをきかなくなっていた。先週までは心地良く感じた腕の疲労感が、この日はとてつもなく不快でしかたなかった。

 そのとき、練習場へ、私達とは別の客が入ってきた。痩せ筋肉質なUやHとは訳が違う、SASUKEオールスターズにいてもおかしくないバキバキ体格に金髪ソフトモヒカンの若い男性と、おそらくその恋人らしい若い女性だった。金髪男性は靴だけを履き替えると(服装は初めからTシャツに短パンの臨戦態勢だった)、鞄の中から何か小さな機械を取り出して操作し始めた。私達は彼らのことが気になりつつもあまりジロジロ見るわけにいかないので、ひとまず壁を登るのに集中することにした。しかしそれもつかの間、突如室内に爆音のミュージック(分からないけどエミネムみたいな外人のラップ曲)が流れ出した。私達はあっけに取られたが、金髪男性はそんな私達に目もくれず、近場の石に手足をかけ、いかにも玄人然とした軽快なペースで華麗なクライミングを披露し始めた。一つ、また一つと石を伝って行くたび、踏ん張っている色黒の手足の筋肉がキュッと引き締まり、肢体が生み出す動きはとてもパワフルで、システマティックで、美しいと言わざるを得なかった。外人の攻撃系ラップがますます激しくなる中、縦横無尽に壁を動き回る金髪の男性は強くて優雅な蜘蛛、プルプルと無様に壁にしがみついている私達は蜘蛛の巣にかかった弱い羽根虫、一瞬そんな例えが思い浮かんだが、すぐにこの例えは正確でないと思った。金髪の男性はそもそも私達のことを狙ってなどいないし、挑発しているわけですらない。私達の存在など歯牙にもかけておらず、ただ “自分のフィールド” で思う存分、強者の舞を踊り狂っているのだ。そして、恋人の女性は椅子に座ったまま、うっとりした恍惚の眼差しでその乱舞を眺め続けている。私達4人は、一人、また一人と壁から離れ、気付けば全員が隅の方に固まって手持ち無沙汰のまま立ち尽くしていた。この瞬間、私達はみんな哲学的に童貞となり、清々しくゼロに戻った。