夢見マン

 昔から寝付きが悪いのでよく夢を見るのだが、最近その寝付きの悪さに拍車がかかってきてそれに伴い特殊な夢を見ることが多くなった。「特殊な夢」というのは単にストーリーが特殊だとかそういう次元ではなく夢の性格そのものが従来とはかなり異質なものになったのである。ここではこの異質な夢のことを「夢未満」と表現することにしたい。

 以下、「夢未満」の特徴を従来の夢と比較して述べる。

 

1.夢未満はきめ細かい。視覚的解像度のきめ細かさや具体性という特徴もあるが特筆すべきはストーリー展開のディテールである。従来の夢のストーリーは基本的に荒唐無稽で脈絡を欠いた話がデジタルにポンポン進行していくものが多かったが、夢未満は設定こそ突飛なものでありながらそこからの流れは細部の因果関係がしっかりしており猥雑で現実感を持ったきめ細かい展開が繰り広げられていく。

 

2.夢未満は自分の意思で止められる。まず夢の中にも明晰夢というものがあって、これは夢を見ているときに「自分は夢を見ている」ということを自覚するものであり、巧くなれば夢の内容を自在に操ることもできたりするそうだが、あくまでこれは特殊なパターンであり、基本的に夢は夢と自覚されないのが普通でその夢の展開を受け入れるかどうかを判断する権利は主観から剥奪されている。しかし夢未満の場合、当初はそれが夢未満だという自覚の無いまま話が進む点は普通の夢と同じだが、どうしても行き詰ったり「これ以上は辛くてたまらない」と感じたときはごく自然に「じゃぁそろそろやめよう」という気持ちが降ってきて、金縛りを解くときのようなもどかしさを感じながらも自らの思考を現実世界に「よっこらしょ」と引き戻すことができる。

 

3.夢未満は忘れない。普通の夢は目を覚ました瞬間から秒単位で加速度的に筋書きが忘却の空へ消えていくが、夢未満は少なくとも目覚めた瞬間に覚えていたことはその後もずっと覚えている。先述したきめ細かいディテールゆえに忘れにくいのか、もしくは忘れにくいがゆえに起きたとき「きめ細かい話だった」と思い返されるのか、そのあたりの関係ははっきりしないがとにかく夢未満は忘れない。

 

 以上3点が主要な「夢未満」の特徴である。基本的に夢よりも濃密な内容であるためネーミングとしては「夢以上」の方がふさわしいのでは? と感じる方もおられるかもしれないが、「現実⇔夢」という関係の中では両者の中間に位置するだろうという観点で「夢未満」と名付けることにした。

 

 以下に、ちょうど今朝自分が見た夢未満の内容を記していきたい。「今朝」と記載したのは、昨夜自分は持ち前の寝付きの悪さをこじらせて明け方まで一睡もできず、そのまま朝5時半に近所のなか卯へ行って目玉焼き納豆朝定食を食べ帰ってきたあとようやくウトウトして目を閉じた際に夢未満を見たからだ(夢未満はこのように浅い眠りとさえ呼べるのかも微妙な夢うつつ状態のときによく見られる)。内容は3本立てであった。それぞれの話に関連はなく言わばオムニバス形式である。

 

 

 まず初め、公民館の会議室のような場所で自分を含めた若い男女複数人がホワイトボードの周りに集まって議論をしている。議題は『ダウン症の胎児を中絶することは悪か否か』というものだった。各々が持論を熱く交わしている中、まるで映画『バトルロワイアル』の川田章吾登場シーンみたいに隅の方に座って腕を組んで何も発言しない男がいる。友人Mだ。Mが黙っている理由は、この議題に明るくないとか、性格が引っ込み思案だからとかそういうことではなく、彼のシリアスな表情から察するに、安易に言葉にするのも憚られるほどの深長な思いを胸に抱いているのだろう。やがて議論は一旦休憩となって各々トイレとかに行き、また定刻に集合したらMがいない。周囲をよく見ると置き手紙が残されていた。手紙にはM直筆の『俺は中絶を許さない。この意思を行動で示すべく、俺は今からダウン症の新生児を首尾よく出産する』という文面と、近くにある小さな神社の鳥居の白黒写真が貼られていた。『Mはこの神社で、今まさにダウン症の新生児を出産する気だ』 誰もが事態を把握し、Mの行動に善悪の判断を下すことは一旦保留して、公民館のドアを蹴破り神社へと走った。

 

 二話目、国道の高架下。一人の女性が歩いている。自分は小走りでその女性を追い越して立ちどまり、金網に手をかけながら女性へ話しかける。

「お嬢さん初めまして、今度当社から登場した新しいiPhoneに興味はございませんか?」

 女性はくすくす笑っている。それは当然、初めましてでも何でもなく、この女性は高校時代に自分と同じクラスで掃除当番も同じグループだったからお互い顔見知りなのだ。自分の冗談を受け流しつつ女性は質問をする。

女性「今もまだ仲良くやってるの?」

自分「うん、やってるよ。このあとも3人でファミリーマートへ行くのさ」

 女性が言及したのは、自分が平素から仲良くしている男の友人2人のことである(彼らに名前は無いので仮にA、Bとする。Aは身長が3メートルほどある)。我ら3人が「サンコイチ」なことはこの街では常識であった。

 場面がファミリーマートの店内へ切り替わり、自分はA、Bと店内を物色している。そこへ突如、顔なじみのヤンキー6人組がやってきて我々を取り囲んだ。

「よぉ兄ちゃん、お金貸してくれよ」

 ヤンキーの一員であるジャルジャル福徳が挑発をかけてくる。自分はアイスコーナーの中からチョコモナカジャンボを手に取り再びアイスコーナーの中へ投げつけた。福徳に投げつけずにアイスコーナーの中へ投げつけたのは商品を棄損しないようにという配慮からだ。福徳を含めたヤンキー達は怒ってにじり寄ってくる。俺とBがAの方を一瞥する。Aは一瞬の間を置いた後「ずらかれーーー!!」と叫び、自分たち3人は店外へ飛び出した。

 そこは広大なグラウンドだった。自分は走った(通常夢の中では脚がもつれてうまく走れないはずだがこの「夢未満」の中では現実世界以上に速いピッチで走ることができた)。当初ヤンキーは6人だったのに気付けば『逃走中』のハンターみたいに草むらの中とか色々な所からヤンキーが出てきて自分は彼らをかわしながら広大なグラウンドを『トムとジェリー』のように逃げ回った。逃げ回りながら自分は『明日からゴールデンウィークなので、奴らとしても今日中に片を付けておきたいのだろう』ということを考えていた。

 

 三話目、和室の居間に藤子F不二雄のタッチで描かれた架空の核家族が集結している(尚ここからの展開は自分は登場せず神の視点で物語を見ている)。居間の真ん中には布団が敷かれていて、中学生くらいの女の子が意識を失ったまま目を閉じて横たわっている。その女の子は仰向けに寝ているのだが、背中に、真っ白でヒト型の薄っぺらいゴム人形のようなもの(女の子と同じくらいのサイズ)が、ちょうど女の子に後ろからハグをする形でくっついていた。

 家族の中の母親らしき女性が「今は芳しくないけれど、これ(人形)があるからきっと大丈夫」と言い、父親や兄弟姉妹も懸命に笑顔を作る。しかし、当の女の子の容態は悪くなる一方で、しまいには顔が土気色を帯びて皺だらけになり、さながら即身仏の様相を呈してきた。

 そこへ襖を開けて普通にドラえもんが帰ってきた。家族は皆一斉に安堵の表情を浮かべ「ドラちゃんおかえり! 早く助けて!」と言いながら変わり果てた姿の女の子を指差す。ドラえもんは呆れた顔をして、「とんでもない! こいつ(人形)に取り憑かれてしまったら、骨の髄まで腐って死んでしまうんだぞ!」と叫んだ(このシーンだけは漫画のラストコマのように一枚絵になっていて枠取りもされていた)。