プレゼンス

 ここ数週間くらいの話だが飲食店で一人食事を終えたあと伝票を持ってレジの前に立ってもびっくりするくらい店員が自分の存在に気付いてくれなくなった。特定の店だけじゃなくどこの店に行ってもそんな感じだ。立て続けだと日に日に心が弱ってきてレジ前から厨房に向かって店員を呼ぶ「すいませ~ん」の声もだんだん『こち亀』の寺井みたいになってきた。行きつけの食券制のラーメン屋は食事を終えた客を店員が店の外まで見送る形式なのだが最近は自分のときだけその見送りがない。直近の来店では厨房に向かって言う「ごちそうさまです」の声量を意識的に上げてみたがやはりスルーされた。人間は「存在感」から先に死に始めることがあるのかもしれない。今年もよろしくお願い致します。

糖尿病

 「甘いにおいがする」と人から言われるようになった。甘いにおいと言ってもそれは異性を惹きつけるフェロモンのような魅惑の香りという類のものではなく「むせ返りそうなココナッツ臭」「腐ったバナナのにおい」に近いものらしい。インターネットで調べてみると体からそのようなにおいを発する人は「糖尿病の可能性あり」ということだった。さらにそこに記載されていた症状の「喉が渇きやすい」「頻尿である」などもちょうど最近感じるところであった。家系的にも糖尿病のリスクが高いことはもともと知っていたので将来発祥してもおかしくないと覚悟していたのだがこれは早くもそのときが来てしまったのかもしれないと思い自分はバイブのように体を震わせた。

 仕事の負荷が谷間の時期ということもあり自分は悠久休暇もとい有給休暇を取得して自宅からひと駅離れた所にある総合病院へ糖尿病検査を受けに行った。悪魔の宣告を受けるために限界丸(My自転車)を漕いで自らの体を病院まで運ぶ自分の心にはバイキンマンの基地の上空みたいなどす黒い暗雲が立ち込め口からは自然と『ドナドナ』のメロディがこぼれ落ちた。病院に着くと外来患者用の駐輪場が見つからずしかたなく職員用の駐輪場に一つ空きがあったのでそこに止めようとしたらなぜかその駐輪場は例のタイヤを入れる溝枠(伝われ)の左右の間隔が異常なくらい狭くて限界丸を無理やり挿入すると両サイドの自転車のハンドルがすごい勢いでプレスしてきて限界丸の前かごに美しいくびれができた(「へぇ。こういうこもとあるんだ」と思った)。悪魔の宣告は眼前に近付いていた。

 受け付けを済ませてほどなく血液検査および尿検査をしてから約1時間の待ち時間を経て診察室に呼ばれた。検査の結果はまったく異常なしということだったので糖尿病の心配は綺麗に消えて残ったのは「自分の体から腐ったバナナのにおいがする」という事実だけになった。

ゆらゆら帝国

 ゆらゆら帝国というバンドが好きだ。サイケデリックロックと呼ばれる音楽性で異彩を放った3ピースロックバンドで2010年に解散している。自分は当初「ゆらゆら帝国」というバンド名から奇を衒った薄っぺらいトリッキーバンドの印象を勝手に持っていて食わず嫌いしていたが聞いてみるとそのイメージはまったく間違いだったことに気付いた。サイケデリックロックと呼ばれるだけあって酩酊的なサウンドが特徴だがその骨格はしっかり芯のある骨太ロックだったのだ。安定した王道ロックのかっこよさを根底に持ちつつもそこに乗ってくるサウンドの酩酊感・美しさ・繊細さに自分はすぐ虜になった。

 好きな曲をいくつか挙げていく。『ラメのパンタロン』や『ゆらゆら帝国で考え中』『ズックにロック』なんかはもうバリバリゆらゆら帝国ロックという感じでストレートにかっこいい。『空洞です』『できない』『美しい』など後期の曲はかなりできあがりきった余裕の感じられる雰囲気で全体的に漂う開き直った感じの諦観と万能感がたまらない。『恋がしたい』『バンドをやってる友達』などはメンバー以外の女性がヴォーカルとなっている変わり種の曲だがそれぞれ一つの作品として光っている。『待ち人』はこんなの泣いてしまう。  

 ゆらゆら帝国の魅力はサウンドだけでなく歌詞にもあると思う。ギターヴォーカルの坂本慎太郎氏の書く歌詞は曲の世界観にマッチした独特の空想世界なのだがそれは単に幻想的だとかそういうものとは少し違う。曲の雰囲気も相まって一見非現実的に感じられる世界観の中に我々が普段の日常で抱く様々な情感が非常に繊細で巧妙な暗喩によって表現されているように思う。

 

ぼくの心をあなたは奪い去った 俺は空洞 でかい空洞

全て残らずあなたは奪い去った 俺は空洞 面白い

バカな子どもが ふざけて駆け抜ける 俺は空洞 でかい空洞

いいよ くぐりぬけてみな穴の中 どうぞ 空洞

 

 非現実的な世界観の中に突如立ち現われる鋭い共感はゆらゆら帝国でしか感じられないまさしく唯一無二のものだ。彼らの歌詞にはメッセージ性だとか訓示だとか批判だとかそういう説教じみた要素はまったくない。曲を聴いた人たちの人生に少しでも影響を与えたいとかいう類の創作者側の自己顕示の色も作品の中に一切顔を出してこない。本当に一寸の隙もない。ただ心の機微を美大出身の坂本氏ならではの感性で美しくエロくおしゃれで細やかに空想と絡めつつ「表現」したものを作品として生み落とし続ける。これこそがゆらゆら帝国の音楽であり芸術なのだと思う。  

 できれば解散する前に好きになってライヴも観に行きたかった。坂本慎太郎氏は現在もソロで活動しているので今後もますます期待している。    

 

 書いてから思ったが本当に完成されたものの素晴らしさを正確に説明するのは容易なことではなく自分のようなデイリーヤマザキ級ブロガーの説明じゃ聞いたことない人には絶対伝わらないと思ったので動画を貼っときます。

 

空洞です

   

 

夜行性の生き物三匹

男児

 夫婦が経営するアットホームな雰囲気の定食屋で昼飯を食べて満足した気分になり「TSUTAYAで映画でも借りて帰るか」と思って駅前のTSUTAYAに入った。タッチパネルの検索機で気になる映画を何本か検索していたらすぐ横を30代くらいと思われる女性が5歳くらいの男児の両脇を持って抱えながら急ぎ足で店の出口の方へ進んでいった。しかしそんなことは当然特に気にも留めずタッチパネルの操作を続けていたら来た。すごいのが来た。猛烈な刺激臭が来た。鼻腔をつんざき鼻毛も揺らすほどのにおい。気を抜けば食べたばかりのアジフライ定食をマーライオンより勢いよく嘔吐しそうになるほどのこのにおいは紛れもなく う ん こ のにおいだった。薄れゆく意識の中で記憶をたどると辻褄が合った。先ほど女性に抱えられていた男児が漏らしたのだ。男児の肛門から産み落とされたうんこは男児の肛門から産み落とされたうんことは思えないほどの莫大なエネルギーを発揮して周囲に刺激臭の粒子がスーパーノヴァのように拡散し男児が店外へ運ばれたあとでもなおその刺激臭の残滓がしぶとく猛威を振るった(イ○ラム国から男児にスカウト来てるんじゃないかな)。男児が傍を通った際まともに粒子を浴びてしまった自分の脳の機能はどんどん低下していきギリギリのタイミングで「これ以上ここにいては危ない」と判断できた自分は駆け足で店の外に出た。店を出る直前のIQはファービーと同じくらいのレベルまで落ちていてかなり危険な状態にあったが間一髪だった。

 涙目になりながら深呼吸をして落ち着きを取り戻すとやがて落ち着きは熱い怒りに変わった。何とかして一矢報いてやりたいと思い周囲を見渡すと少し向こうで先ほどの男児が女性にパンツを脱がされているのが見えた。ひたすら狼狽の表情を浮かべる女性に反して男児の表情は老獪なエクスタシーに満ちておりとても5歳児の表情筋が造形できる代物ではなくその表情を見た自分はプフのオーラに心を砕かれたノブのように戦意喪失して映画を借りることもなく腰を丸めてとぼとぼと家に帰った。今年一番ジャックナイフのような日だ。

自転車と車道と歩道

 自転車で車道を走るのが怖い。道路交通法で自転車は車道を走るものだと決まっていることは知っているが怖いものは怖い。まず単純に自分のすぐ横を車がビュンビュン追い越していくのが怖い。それらの車をよく見るといつも道路のセンターラインを車体半分くらいは越えながら右側に寄って自転車を追い越しているしこれは完全に車の側も接触の危険を感じて自転車から距離を置こうとしていることを意味している。自転車側としてもできる限り左に寄りたいが大体において車道の左端には幅の狭い灰色のコンクリート地帯があってその部分と普通のアスファルト部分との境目の溝にタイヤを取られると危うくズザザーッと転倒しそうになる。あんなところで転倒したら立ち上がる間もなく後続車がせまってきて「あなや」と言う間もなく轢かれてしまう。

 だからつい自転車で歩道を走ってしまったりする。もちろん傍若無人な走行はせずに注意を払っているし歩行者をベルでどかすなんてことはしないし危険な場合は自転車を降りるし要求されればその場に跪いて歩行者の革靴を黒光りするまで舐めるつもりでいる。だから車道は正直勘弁してほしい。「自転車で歩道を走ることによる事故が実際に起きている(から車道を走れ)」という主張もあるがそれは車道を走った場合に起きている事故数と比較しないと意味が無いし「転倒→死」が容易に想像できる車道を法律で決まっているのだから走れと言われても簡単には走れない。「歩道は危険だから車道を走れ」という理屈は単にAの危険をBの危険にすり替えているだけで全体として何の効用も上がっていないのではないかと思う。

日焼け

 10月が来る。夏が本当に終わる。9月は実態としては日中ほぼ半袖で過ごしていられるような気候でまだまだ夏の色合いが残っていたがそろそろ本当に寒い季節が来てしまう。

 自分はもともと色白なのだがこの夏のあいだに自分としてはかなり日焼けした。その一番の理由は週3回実施しているランニングだと思われる。週3回のうち2回は土日それぞれの日中に(各30分間)走るのでそれを毎週続けるとひと夏で結構焼ける。元来が色白のため冬になるとどうせまた元の色に戻るのだがひとまずはこの夏がんばった勲章としての小麦色が嬉しい。

 健康的に焼けた自分の肌を見て思い出すことがある。自分はかつて色白な肌に極度のコンプレックスを抱いていた。幼少の頃は大嫌いな親戚の紫ババアに会うたび「病弱に見えるからもっと外で遊べ」と罵られたり学生生活においても一様に「甘栗むいちゃいました」みたいな皮膚色の体育会系集団が息まく教室の中で肩幅を狭くして過ごしたりしているうちにコンプレックスは肥大していった。

 自分は大学1年の夏休みにそのコンプレックスをいよいよ行動によって払拭しようとした。毎日正午に差し掛かると実家の一階に降り短パン一枚(その短パンも裾を極限までまくって股の近くまで太腿を露わにする)になって体中に薬局で買ってきたサンオイルを塗った状態で裏庭に出た。そこで全身に太陽の光を浴びて仁王立ちのまま30分~1時間ほど過ごすのだ。これは体力的にはしんどいが最初の数日間は小麦色に焼けた未来の自分を想像してその高揚感で耐え忍ぶことができた。しかし高揚感は長続きしないので数日後にはただ立って過ごすのがきつくなってくる。そこで自分は裏庭に接する和室のテレビの位置を動かして外から見えるようにし毎昼『笑っていいとも!』を見て退屈をしのぎながら体を焼くことにした。時には隣家や裏の家の御婦人が洗濯物を干す際などにベランダへ出たとき鉢合わせすることがありそんなときはたとえその御婦人が普段道で会った場合には快く挨拶する相手であっても自分は決して目を合わせずオイルのせいでやけに艶の良い未熟児みたいな肉体を惜しげもなく晒したままテレビ画面の中のスタジオの奥にある大文字の「笑っていいとも!」の『!』に視線を集中させてそのまま即身仏になるイメージで耐え忍んだ。

 サンオイルの品質が良くなかったのか要因はよく分からないが結局ひと夏を終えても自分の体は赤くヒリヒリ日焼けしただけで大した成果は表れずいよいよ馬鹿らしくなってプロジェクトはその年が最初で最後になった。この春『笑っていいとも!』が最終回を迎えたときにこの事案をふと思い出して懐かしい気持ちになったが今回また夏の終わりにしつこく思い出してしまった。

 あの夏から月日は流れ今では色白であることを誇りにさえ思っている。自分も良い大人となりもはやあの頃のように足りないものを手当たりしだい何でもかんでも追い求めていい時期は過ぎてしまった。求めるものを取捨選択しわずかばかりの矜持を磨いてつまらないコンプレックスなどは未来の自分が笑ってくれるさと胸を張って生きていきたい。

プロテイン

 今日は祝日で仕事が休みだった。平日の合間にぽかんと現れた間欠泉のような休日だった。こういうあぶく銭っぽい休日には強気に何か新しいことをしたくなる。今日の自分の場合は目覚めて即「プロテインを買いたい」という思いに駆られたのでプロテインを買いに行った。

 補足説明になるが自分は数ヶ月ほど前からダイエットおよび筋力トレーニングを日々実施している。開始したきっかけは人生で初めて体重が60kgを超えたことだった。自分の身長は成人男性の平均を下回っており骨格も細いので60kgを超えると結構な贅肉をこしらえていることになる。このままではいけないと思った。よほど精神力の強い人は別かもしれないが自分のような意志の弱い人間の場合たとえば朝起きて「今日はあれとあれとあれをこなしてアップルのCEOになるまでの一歩を着実にこなそう」と奮起してもいざ着替えるときに鏡に映ったブリヂストンマスコットキャラクターみたいな体を見るだけで「あぁもうワイみたいな半妖が何をやったところで……」と一気にやる気が雲散霧消してしまう。20歳を超えた男の体は普通に過ごしていると現状維持もままならずあれよあれよという間に太鼓腹ができあがってしまう。もしそれに抗うことなく若いうちから飛べない豚になることを受け入れてしまうときっと他の分野の夢や希望もすぐ諦めてしまう思考回路につながるのだろう(何度も言うがよほど意志の強い人は別かもしれない)。また三島由紀夫は著書の中で「思想は行動によって実践されなければ意味がない。行動は肉体によって為される。故に肉体を鍛えなければならない」という趣旨のことを書いた。自分は死ぬまでに三島由紀夫がやったことをすべてやる予定なので肉体の鍛錬についても例外なくやらねばならない。

 本筋に戻るが自分は何かするとなればいつも入念な下調べをする人間なので早速インターネットでプロテインについての情報を集めた。その効用・メリットデメリット・使用方法の詳細を読みあさり細く引き締まった体になるために最適なプロテインを調べスクリーンショットまで撮って梅田の百貨店のトレーニンググッズ専門店へ足を運んだ。準備は万端だった。

 棚を一通り見たところ自分の調べたプロテインが見つからなかったので近くにいた色黒で藤崎マーケットの3人目(藤崎マーケットは2人しかいないがそういうイメージだった)みたいな店員さんにスクショの画面を見せながら話しかけた。

自分「すみません、これって置いてないですか?」

藤崎「あ、これ無いですね! これあんま良くないですよ! 名前で売れてるだけで!それだったらこっちの方が……」

 苦労して調べ上げた製品は店員さんの脊髄による判断にて秒速で否定され瞬く間に別の製品のセールスを怒涛に受けた自分は結局ものの3分も経たぬ間に店員さんの薦めるがまま5,800円/2週間分のプロテインを買ってしまって成功されたレイプみたいだった。

 そのあと飯を食って家に帰り筋トレをしてプロテインを飲んだ。人生初のプロテインは宇宙人の精子みたいな味がした。